2011年11月6日 石狩川水系忠別川のツインハープ橋下に産卵のサケの群れ [Homeに戻る] 画像にマウスのポインターを当てるとその画面が拡大されます
48年ぶりに石狩川水系忠別川に産卵のためにサケが群れを成して遡上した。石狩川にサケを回帰させるために1983年からサケ放流の取り組みを行ってきた
「大雪と石狩の自然を守る会」の市民を巻き込んだ取り組みが行政を動かし、2000年にはサケの遡上を不可能にしていた農業用水取水のための堰(深川市の
花園頭首工)の上段 の撤去と魚道の設置、(独)水産総合研究センターの「石狩川本流サケ天然産卵資源回復試験計画」による2009年〜2011年の3ヶ年渡る
合計150万匹の鮭の放流 事業が今回のサケの遡上をもたらしました。 ※右のバーをスクロールして画像の下の文章もお読み下さい。
         
  サケを旭川市内で放流していたことは新聞でもいちおう知っていました。しかし、大雪と石狩の自然を守る会が主催する大雪山講座「ひぐま大学」に入ったのがきっかけで、「北海道サケネットワーク主催」の「サケを考える市民の夕べ」に11月5日に参加してこの事についての事情を知ることが出来ました。11月6日には「サケ遡上うぉっちいんぐ」に参加,サケの遡上を観察しました。もともと上川盆地の石狩川とその支流は、大量のサケがはるばる160kmの川の道のりを遡上して産卵する一大産卵場でした。そのため上川盆地にはたくさんのアイノ方が住んでいたそうです。松浦武四郎が聞き記すところでは1818年でその数凡そ千余人、しかし場所請負制度による強制労働で武四郎が実際訪れた1857年には上川在住アイノは100人を割るほどに激減していたという。それでも開拓前の明治初期には8〜9万尾のサケをアイノの人が捕獲し、昭和20年代の後半でも1000〜3000尾のサケが捕獲されていたそうです。上川盆地にサケの遡上が途絶えたのは、石狩川の環境悪化だけでなく、1963年に北海道開発庁が作った落差7mの音江の旧花園頭首工(農業用水所得のための堰)によるものでした。石狩川支流忠別川のサケの遡上と産卵は、「大雪と石狩の自然を守る会」の1983年から実に28年に渡る「上川盆地(石狩川)にサケを呼び戻そう」とする長年の取り組みが実ったものと思います。この息の長い情熱と努力には敬意表します。石狩川に多数作られたこのようなサケの遡上を妨げた堰は、水田に必要な用水を供給したくさんの米を作ることに貢献しました。サケのふ化・放流事業が進む中、当時としてはサケの遡上と自然産卵の事を考える時代ではなかったのでしょう。現在この花園頭首工(堰)はその後建設された堰によってその役割は終えているそうです。「守る会」は現在、サケがもっと遡上しやすいようにと、開発局に対して撤去を含めたさらなる改善の要請をしています。